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若くても病気じゃなくても遺書を書いておく勧め

朝晩すっかり冷え込むようになりました。

昨晩、今シーズン初めて靴下を履いて寝たのですが、朝起きて階段を降りようとした時に、一段目から足を滑らせてそのまま滑り台のように階段の中腹まで転げ落ちてしまいました。

なんとか手すりを握って尻餅くらいで済みましたが、靴下の滑りが良すぎて全然止まらなくて、ちょっと「死ぬかも」って思いました。

でも、滑り落ちる一瞬のうちに、「そういえば遺書書いてあるんだった、その点は良かった」ってことも考えていたんです。大袈裟ですね。

遺書を書いた

階段から転ける1週間くらい前に、遺書を書いていました。

重い病気が発覚したとか、死のうとか思っていたわけではなくて、30歳も超えると人間いつ死ぬかわからないなと思って書くことにしました。

ちょうど引越し前で荷物を減らしていたので、身辺整理的な考えをしやすくなっていたのかもしれません。

ちなみに「遺書」は「遺言状」とは異なり、法的な力はありません。

故人の気持ちを書いたものなので、フォーマットも自由だし、誰からの承認も要りません。

だから思い立ったらすぐに書くことができるのです。

私の遺書の書き方

MacBookのテキストエディットに打ち込んで、PDFで保存し、デスクトップのわかりやすいところに配置していました。

後々印刷して封筒に入れて、私物が入っているボックスにでも入れておこうと思っていました。

手書きにしなかった理由は、書き写すのが面倒だったからと、加筆修正がしやすい方が良いと思ったからです。何しろ最期の文章になるので。

・連絡事項

・大切な人へ一言ずつ

という内容にしました。

連絡事項には金融資産の譲渡先、サブスクリプションのIDとパスワード、各種連絡先などを記入しました。

また、弔い方の希望も書いておきました。(例えば海に撒いてください、とか)

その後、家族など一人一人にこれまでの感謝の気持ちを述べました。

書いている間の気持ち

ピンピン生きているのに、死んだ体で文章を書くことに最初はとても違和感がありました。

連絡事項を書き終わったあとは、とてもホッとした気持ちになりました。

実家の父や母が親戚の墓の手入れや相続にとても苦労していることを知っているので、自分が死んだ後はなるべく生きている家族の負担にはなりたくなかったのです。

そういった儀礼的なものは必要ないという気持ちを書き残すことで、心配事が少し減った気がしました。死後には気に止むこともできませんが。

大切な人へのメッセージを書いている間は、思わず感情的になり涙が溢れてきました。

本当に「今、死んだら」と考えた時、残るのは大切な人への感謝の気持ちだけでした。

よく毎日3個感謝することを見つけなさいとか、感謝の瞑想をしなさいとか、感謝の大切さが説かれることがありますが、いまいち自分には響いていませんでした。

けれど、なるほど確かに、人生が終わったら、と思うと、感謝の気持ちしか残らないのです。日頃どんなに喧嘩をしても、イライラしていたとしても。

今とても大きなことに思えるものや出来事も、死んだら泡のように消えてしまいます。

人生の成功も、頑張って稼いだお金も、死んだ後の自分にとって無意味です。

最も辛いのは生きている人たちとの別れです。

遺書を書くことで、生きる上で最も価値があるものは何なのか、朧げながら掴めたような気がしました。

定期的に書くこと

若くても、病気じゃなくても、遺書を書いてみることをおすすめします。

私も今回初めて遺書を書いてみましたが、暗い気持ちになるどころか、生きていることに感謝したい気分になりました。

そして周りの人をもっと大切にしたくなりました。

周辺環境や残したいメッセージも日々変わっていくことでしょう。

3年、5年ごとに遺書を書き直す時間をとっていきたいと思いました。

遺書そのものとしての役割というより、己を見つめ直す良い機会になりそうです。

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