エコミニマリズム ゼロウェイスト

エコに傾倒していたらいつの間にか汚部屋になっていた

先日ブログに書いたように、中古物件を購入しました。

契約、決済、引越しの段取りに追われる日々を送っています。

契約をしてからすぐに、新生活のために持ち物の断捨離を始めました。

「引越しも断捨離も慣れているからチャチャっとやっちまおう」

というテンションだったのですが、改めて家の中を見回してみると、出るわ出るわ不用品の山。

3年ほど住んだ古い戸建て。妊娠・子育てと、ライフスタイルの変化とともにあった家でした。

結果的に50個ほどのものをジモティーやメルカリ、リサイクルショップで売ったり譲ったりしつつ、

そのほかの細々としたものを回収のたびにゴミ捨て場に持っていくという生活を、この2ヶ月半ほど続けていました。

実は私は「自分にとっての物の適量を知り、無駄なものを買わない」というエコミニマリズムを目指していて、

このブログでも何度かそのことについて書いています。それが、個人ができる中で一番の環境問題へのアクションになると思っているのです。

自分ではモノへの意識が高い方だと(無意識ながら)思っていただけに、不用品に囲まれていたことがショックでした。

でも、自分が溜め込んでいたモノを見ていると、他ならぬ「エコ」という言葉に縛られて、要不要の判断ができなくなっていたということに気がつきました。

ゼロウェイスト時代

私はかつてゼロウェイスト(ゴミをなるべく出さない生活)を目指していました。

ええ、過去形です。なぜなら今は全くと言っていいほど、ゴミの量を意識した生活ができていないからです。

ゼロウェイスト生活を実践する中で私が学んだノウハウは、このブログの過去の記事に書いてあります。

ゼロウェイスト生活とは、

使い捨てや個包装のものを避け、固形石鹸を使い、服が擦り切れたら新しいものに縫い直し、

生ゴミはコンポストで土に還し、そのほかのゴミはなるべくゴミとして捨てずに再利用する。

そういった工夫で家庭ゴミの量をなるべく減らす生活のことです。

私の焦点は「燃えるゴミの量」を減らすことだったので、燃えるゴミの袋が溜まらないことに達成感を感じていました。

結局は数年後、引越しのために大量の「燃えるゴミ」を・・・それだけではなく不燃ゴミも、粗大ゴミも、プラスチックゴミも・・・出してしまうとも知らずに。

子どもが生まれて変化が訪れる

ゼロウェイスト生活に変化が出始めたのは、やはり子どもが生まれてからです。

勇み足で始めた布おむつ生活も、5ヶ月で子どもが入院した時にそのまま挫折。

離乳食はレトルトパウチに随分とお世話になりましたし、子ども用のおやつは個包装の方が便利です。

おむつは、夏場は使い捨ての「におわない袋」に入れておくとゴミ箱が臭いません。

子育ての負担を減らすアイテムは、使い捨てのものがほとんど。

かつての私だったら眉間に皺を寄せていたようなグッズも、子育て中は喜んで使っていました。

過去の私の生活を知っていても、そんな変化に対してネガティブな意見を言う人はいませんでした。

私も「子育てって大変だもん、仕方ない」と納得していたつもりでした。

しかしながら、それなりに心血を注いできた「エコ」な生活を全く実践できないことに、後ろめたさも感じていたのでしょう。

ゼロウェイスト生活を実践する中で、私は無意識にあらゆる選択への正解・不正解を決めていたのだと思います。

使い捨ては「不正解」で、リユースは「正解」。

その基準に照らし合わせれば、自分は今、「不正解」の選択をし続けている。

本当は、環境問題ってとても複雑なので、どちらの選択も一長一短があるはずです。

だけどゼロウェイストは単純にゴミの量にフォーカスするので、正解と不正解を決めやすい一面があり、それが個人の判断と行動を後押ししてくれます。

その美点が今回は良くない方向へ働きました。

子ども周りのお世話グッズに使い捨て商品を使っている分を補うかのように、私は他のものを溜め込み始めました。

今はあまり着ていない服も、子どもが小さいうちはもう使うことがないであろう石油ストーブも、何かでもらったリボンの切れ端も、梱包材も、古いシーツも、

「もういらない、不要だ」という判断をするのが嫌で、後で「何かに活用するため」に取っておきました。

私は裁縫が趣味なので、布系のものはちょっと頑張れば子ども用の服にしたり、エコバッグにしたりできるなんて考えてしまうのです。

本当は、取ってある生地全てを使い切れるような時間も気力もないのに。

使い捨てグッズを「今だけだから」と許しを乞うような気持ちで使いながら(一体誰に?)、

不要なものをウェイストにしてしまうことを恐れて「いつか」のために死蔵し続ける。

過去の自分の価値観が、子育てを始めた今の自分を縛り付けていたのでした。

本当はもう、かつての自分と同じレベルでエコな生活を目指すことは不可能なのに。

自分の選択に責任を持つということ

私に足りなかったのは、自分の選択に責任を持つという態度です。

責任という言葉を使うとちょっと厳しくて嫌な感じがするのですが、それ以外の言葉が見つかりません。

今の自分は何を一番に優先させたいのかを考えず、判断を後回しにしていたから、押入れが不用品で埋め尽くされる事態に発展してしまったのです。

今の私は、地球環境より子どもと過ごしたり、リラックスする時間のほうが大切です。

地球環境より家が清潔に保たれ、家族が健康に過ごせることのほうが大切です。

エコエコ言っていた人間のくせに無責任に聞こえるかもしれませんが、この事実を認めないことの方が無責任なのではないかと今は思います。

自分に何ができる(したい)のか・できない(したくない)のかを考えもせず、全てを引き受けても必ず破綻します。私の家がいつの間にか「汚部屋」になってしまったように。

時間を大切にしたいなら、すべての服をリメイクする暇はとれない。

家を清潔に保ちたいなら、管理できる量までものを減らさなければならない。

不用品の山を見つめながら、そんなシンプルな事実に直面しました。

価値観もわからず、自己管理もできていないのに、地球を守りたいから物を捨てたくないなどと考えていたことが滑稽にも思えました。

同時に、そのことを認めた時、急に視界がクリアになったようにも感じました。

これからはどうするのか

思えば、ゼロウェイスト生活は、私の盾のようなものだったのかもしれません。

結婚し、収入が激減し、社会とのつながりもほぼ消えて、家庭に一人でいることになった自分が、なんとか個人でできる社会貢献。

自ただ生きているだけじゃない、環境問題に取り組んでいるんだ、と、社会から「役立たず」の烙印を押されないための盾。

皮肉っぽく書いていますが、それがゼロウェイストの素晴らしいところでもあります。誰でもできるという点が。

ドキュメンタリーや書籍で見た環境問題の深刻さは今でも脳裏に焼き付いていて、

これからの子どもたちのためにも、なんとかできることをしたいと思っています。

今の自分ができること、それはやはり必要以上の過剰な消費をしない、エコなミニマル生活のことでしょう。

今回の引っ越し前の断捨離で、家全体の所有物を半分くらいまで減らしたと思います。

使いきれずに捨ててしまった安物の文房具や、調味料や、ほとんど使わなかった家電なんかのことを思うと、どれほどのエネルギーを無駄にしてしまったのだろうと思います。

エコミニマリズムを実践するためには、なるべく買わない生活を心がけることも大切ですが

それ以前に、自分が何を・どれだけ持っているのかを把握すること、

そして管理能力を超えてしまう物量のラインを知っておくことが大前提になるのだと痛感しました。

日々の生活は、私たちを先へ先へと押し流していきます。

そのスピードは歳を重ねるごとに早まっていくようです。

ネット上には情報とあらゆる人々の意見が溢れ、人の考えを己の価値観のように錯覚してしまうこともあります。

自分が本当は何を最優先にしたいのか、そのためにどれだけの労力がかけられるのか、何を削らなくてはならないのか。

考えて、生活に変化を加える時間を定期的に作っていかなければと思いました。大切な道具をメンテナンスするみたいに。

「エコより便利」よりの生活でも、残ったゼロウェイスト習慣

ゼロウェイスト時代に培ったライフハックの中で、「エコより便利」よりの生活になっても、今も実践し続けているものがあります。

つまりこれらの習慣はほとんど手間がかからず、生活の質を向上させ、しかもエコということ。

  • セスキ炭酸ソーダで洗濯(子どもの衣類もスッキリ)
  • ナチュラルクリーニング(専用洗剤を買う必要なし)
  • 水筒を持ち歩く(節約にも)
  • ソーダストリームを使う(ペットボトルゴミが激減)
  • 生ゴミコンポスト(ゴミの量激減)
  • 月経カップ(経済的で楽チン)
  • 食器用洗剤の代わりに固形石鹸を使う(手荒れしない、臭い残らない)

興味が湧いたら、ぜひ実践してみてください。

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